高丘親王航海記:原作を読む

「高丘親王航海記」 澁澤龍彦 著
 文藝春秋社 ハードカバー 函付き

なんと美しい装丁なのでしょう!パールとゴールドです!

この装丁の原画は17世紀ドイツの学者アタナシウス・キルヒャーによる「China Monumentis」、中国図説と訳されるようです。アタナシウスは実際には中国には行っておらず、この本は見聞き研究した内容で構成されているため想像と事実がごちゃまぜなのだとか。

一方、高丘親王は9世紀に天竺(インド)を目指して東南アジアの海陸を旅しています。その旅はまったく見たことも聞いたこともない奇想天外な動植物との出会いに彩られどんなにか好奇心を刺激され、またどんなに恐ろしくもあったことでしょう!

本自体も美しい山吹色

澁澤龍彦によって描かれた『高丘親王航海記』にも様々な幻想的な動植物が登場しますが、とある動物の出現に登場人物のひとりが言い放った言葉に私は引っかかりました。

「いや、こればっかりはわたしにもとんとこころあたりがありませぬ。かの山海経にも出ていないような、想像を絶する化けものとしかいいようがない。」

山海経!?持ってますけど?

山海経 平凡社

山海経(せんがいきょう)とは紀元前5~3世紀の間に成立、さらに紀元後3世紀までにわたって編集されてきた中国古代の地理書。いつどういった理由で購入したのかまったく思い出せませんが図録をこよなく愛する私は捨てられずにおりました。

表紙は書中の白黒の挿絵を再構成・彩色したものですが、この生き物たち、こんな風に紹介されています。

朝陽の谷の神、天呉(てんご)。この獣は八つの首で人面、八つの足、八つの尾、みな青黄色。
南海の外(かなた)、赤水の西、流沙の東に獣がいる、左と右に首(かしら)あり、名はちゅってき。

いやはやこれまた奇想天外な生き物ですが、3世紀に郭璞(かくはく)によって付け加えられた山海経の序文からはこんなご意見が。

「荘子が、人間の知るところはその知らないところに及ばないといったが、私は『山海経』でそれが理解できた。」

「物それ自体からみれば異常なのではなく、我見を立てて後に異常となるのであって、異常はまこと我にあって、物それ自体が異常なのではない。」

「天下の賢者でなければ『山海経』の深義をともに語ることはむつかしい。ああ、博学達識の客(ひと)よ、よくよく鑑みられんことを。」

はあ、そうですか、、という部分もありますが、このご意見、私は好きです。

さて、本題の高丘親王航海記、3回も読み返したのですが未だ夢とも現実ともつかぬ物語に惑わされております。しかし夢か現実か。そんなことはどうでもよくなってきました。

 

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